冷凍食品パーティー
■ようやく訪れた週末
こんばんは。moku.です。
先週、先々週と三連休があったので、今週平日の5日間は秒針が舐めるように遅かったです。
今週私は在宅の週でしたが、中日に出張が入ったのでえらく疲れた週でした。
入社してこれまで一度たりとも出張についてきてくれなかった上司との出張は、(なかなかに言いたいこともありましたが)緊張しつつも平穏を装って無事に終了しました。
週末はかめくんと一緒に過ごすお約束なので、夜ご飯に何を食べようかと午前中からあれやこれや考え、定時を過ぎ退勤しました。
■買い出し
私たちの間には「カップル貯金」という制度があって、毎月月初に決まった額をカップル用の財布に納めて、そこから二人の飲食代やデート代などを出しています。
ちなみに、そのお財布の管理はかめくんに全てお任せしています。
なぜかというと、私がお金の管理が全くできないからです。
家計簿を付けようにもレシートは紛失するわ継続できないわ・・・。
一方のかめくんは、空いた時間があれば貯金額を書き出して整理したり口座の確認をしたりとお得意なようで・・・・。
よし、ここは得意な方がやりましょうということでお願いしています。
なので、カップル貯金の内約は全く把握していません。
毎回の夜ご飯決めも、「本日のご予算は?」というお財布事情の把握からスタートします。
月末であと数千円となればスーパーで安いお惣菜を買ったり、二週目にしてはかなり余裕があるとなればUber Eatsで好きなものを宅配してもらったりします。
ベースとしては「お互いの好きなものを食べる」なのですが、やはりお出かけやデートにお金がかかったりするので、「どうしてもこれが食べたい!!」という時以外はお財布の導くままに夜ご飯を決めます。
■さて、今夜私がいただくのは・・・
今週末はぎりぎり9月末だったのですが、カップル貯金にはかなり余裕があったようで夜ご飯の選択肢がかなりありました。
でもなんとなく、そんなに高いものを食べる気分でもないしなあということでスーパーへ。
お互いに仕事が終わってからかめくんに迎えに来てもらうので、ちょうど割引シールが生ものにちらほら貼られている頃合いです。
わたしは割引シールの貼られたしめ鯖と冷凍のつけ麺なるものを発見して即決。
かめくんは普段自宅の夜ご飯を食べているのですが、今日は余裕があるということで食べたいものを食べることになりました。
あれこれ見ながら一周して冷凍パスタと冷凍ピザに決めたようです。
かめくんは普段自分で決めることが苦手なようで、「何が食べたい?」と聞くとしばらく考えてから「moku.さんは?」と聞き返してきます。
私はあなたに質問しているのですが・・・。
初めのころは私も手に取らなかったものを言っていたのですが、それだとかめくんの答えにすり替わってしまうことに気が付いて、こう聞かれたら「今わたしはかめくんの答えを聞きたいよ」と言うようにしています。
「自分が食べたいものはmoku.さんが食べたいもの」と揺らぐことを言うのですが、その本音は「moku.さんが迷っていたものを自分が買えばmoku.さんは好きなものが全部食べられる!」という純粋な優しさからくるものだと思っています。
とはいえ、私も迷いに迷って決めたという時間があるので、後出しは許しません。
相手に決定させるということはずるい行為だと思っているので、必ず小さな決定でも自分でしてもらうようにしています。
メニューを頼む時、お揃いの服を買う時、夜ご飯を買う時、行先を決める時・・・。
そして、その意見に否定してはいけません。
うっかり「それだったら~・・・」と言ってしまう時もあるのですが、そんな時は今のかめくんの疲れ具合や言動を見ながら、「今だったらこちらの言葉を受け取れそうか」を見ながら言葉を変えつつこちらの思いも伝えています。
今回もピザを手に取るあたりで「moku.さんは何食べたい?」と聞かれたので、「私はもうかごの中に入っているもので十分だよ」と言いつつ押し問答が挟まり、「かめくんが食べたいもの少し食べたいから一口くれる?」というと納得してぽいぽいっと冷凍ピザと冷凍パスタをかごに入れていました。
納得ポイントがいつも謎です。
という感じで冷凍食品パーティーになりました。
■冷凍食品に置いて行かれる
冷凍つけ麺のクオリティが冷凍食品と思えないくらい高かったです。
魚介出汁のつけ麺でしたが、スープは濃厚で麺は太麺でモチモチ。
冷凍食品の麺って、もっと硬かったりするんじゃないの・・・?
本当にさっき茹でたような麺で、麺同士がねばついてくっついたりすることもなくおいしかったです。
つけ麺って、たまにつけ汁が少ないことないですか?(私が量の調節下手くそなだけかもしれませんが・・・)
最初の方は普通につけていたのに、麺のお椀の底が見え始めたあたりからつけ汁との量の差に危機感を覚えて掬った麺の半分だけちょびっと付けるみたいな。
なので今回は最初からちょびちょびつけ汁につけていましたが、足りなくなるどころか余る勢いだったのでかなり大満足でした!!
かめくんの方はというと、食べ慣れた冷凍ピザに初めての冷凍パスタの挑戦でした。
パスタは具がしっかり入っていて麺もぶにょぶにょにならずでした。
どちらもしっかり一口もらいました。
ちなみに、かめくんはラーメンに入っている油か体に合わないみたいで今回のつけ麺も悲しそうに横目で見ていました(本人曰く、ラーメンが嫌いなわけではないそうです)。
冷凍食品、こんなに美味しいのかと感動しました。
私の実家では冷凍食品は悪のように食卓には愚か口にすることも許されていなかったので、唯一許可された焼きおにぎりだけ食べていました。
ただ、チンしても部分的に冷たいままだったりして「まあ冷凍食品ってこんなもんか」と思っていました。
それから数年しか経っていないのに、「まあ冷凍食品ってこんなもんか」と言えなくなっています。
「冷凍食品・・・えっ?これが?」というレベルです。
まさかここまで進化しているとは思いませんでした。
パッケージにしっかりと温かくないときの対処法も書かれています。
「しっかりと検証して万全の状態であると予想はしていますが、もしかしたらご家庭の環境によっては予期せぬ場合がございますので、恐れ入りますがこちらをご参照いただけますでしょうか」という腰の低さと謙虚さを感じます。
こんなに丁寧なのか、冷凍食品・・・。
冷凍食品の成長度にはついていけないのかもしれません。
■ゲームをするということ
最近、某色塗り対戦ゲームにかめくんがはまっております。
私の家で仕事用に使っている持ち運び用のディスプレイを持ち込んで私も試しにプレイさせてもらいました。
今週末の楽しみでした!
ゲームをたんまりと楽しむためにおつまみを作りディスプレイを持ち込み、たくさん楽しむ準備をしてきました。
ところがどっこい、「ゲーム」というこれまで二人の間になかったコンテンツが増えたことでなかなかにすれ違うところも多くなりました。
私はゲームを基本的には禁止されて育ったので、ゲームは人といる時にはしないものと無意識に思っていた部分があります。
けれども、今ではボイスチャットやオンラインゲームが主流になっているんですね。
同時に仲間と電話しながらオンラインゲームを楽しむという感覚が分からなくて、何度も衝突してしまいました。
最終的には「相手が楽しいならいっか」というところに落ち着いたのですが、いざ自分がやるとなると不慣れな分見ていてもどかしい部分が多いようで・・・
「ほら、敵が右から来てる!」
「今、必殺技が溜まってるから一回下がって・・・」
「そこは敵の陣地だから戻って!」
等々、操作に必死なうえに一気に指示されて私の限界が来てしまい・・・
「moku.さんは今楽しくゲームできたらいいの!!!」
と言ってしまいました。
そこには「教え方への不満」と「今そんなことは呑み込めない」という思いが渦巻いて、水を含みすぎた水風船のように破裂してしまいました。
教えているところに冷や水をかけられてしょんぼりしてしまったかめくん。
内心「受け入れられなくてごめんね」と思いつつ、私なりにゲームを楽しみたかったのとイライラが消えなかったのでしばらくゲームに集中しました。
ある程度操作に慣れてきたところで後ろから
「moku.さん、ごめん・・・」
と聞こえてきました。
私が「楽しくゲームしたい」という思いの中の「moku.の楽しみ方・楽しさ」を考えていたようで、自分のように上手になる=moku.さんの楽しみではなかったとぽつぽつ話してくれました。
そうなんだよね、難しいんだけど目の前の人の楽しさって本当は分からない。
言ってほしい言葉だって、やってほしい行動だって何一つ分からない。
相手が言ってくれないと分からない。
言ってくれるということは、そこに「信頼」と「期待」があるということ。
そして、相手にはちゃんと意思がある。
かめくんの「楽しい」とmoku.さんの「楽しい」は同じ「楽しい」だけど、「どこに楽しさを感じるか」と「どの程度の楽しさか」は違うよね。
そんなようなことを話していました。
私はただゲームができるだけで楽しかった。それだけです。
そこに操作やあれやこれや、一気に教えられてもパンクするだけです。
(相当慣れている人ならすんなりとできると思いますが・・・)
ピアノに置き換えても、ドレミが覚えられない人に手の形や曲想まで詳しく教えることは滅多とないと思います。
少しギスギスした空気もありましたが、無事に仲直りです。
かめくんのいいところは、一つ問題が起きたらすぐにとはいかずとも必ず話し合ってくれるところです。
私たちはなんでも相談してなんでも話し合います。
何かを決める時も、些細なことも、宗教も、お金のことも、政治のことも。
すれ違ったときはお互いの知らなかった一面を知った時です。
勝手に「相手はこうしてくるだろう」という予想と期待をしてそれが違ったとき、不満を抱きます。
心地のいい相手こそ、相手の好意の上に胡坐をかいてしまいます。
けれども、それはずるいです。
相手の好意は胡坐をかくものではありません。大切にするものです。
尻の下に敷いて大切にしているとは言えません。
もしそれで大切にしているというなら、大切な人は離れていってしまいます。
「大切にし具合」も同じレベルの人を探すしかありません。
恋は搾取、愛は「お互い様」だと思っています。
一方通行なら恋です。愛は土壌です。
恋は目に見えます。愛はこちらが気付くものです。
プレゼント自体は恋で、そこにある背景や思いが愛です。
大切にしてくれる人を大切にしてくださいといういい言葉がありますが、補足をしたいです。
「大切にしてくれていると自分が感じる人」を大切にしてください。
相手が大切に思っていても、自分が不快であればそれは自分にとって大切にされていないと思っています。
ただの相手の厚かましさの場合があるからです。
自分にとっての「大切にされている感覚」をどうか見失わないでください。
「愛されている」を探してください。
そこにある真実に傷付くこともあるとは思いますが、きっと愛してくれる人はいます。
全人類が、自分とは他人なのですから。
■そうして夜は更ける
仲直りした後は、泥に沈むように二人で眠りました。
約9時間寝た後にお昼ご飯を食べて、また4時間ほど眠りました。
平日眠れなかった二人なのに、二人でいると眠気が襲ってきて逃げられないのです。
夢も見ないくらいに深い眠りです。
そうして起きて、目を合わせて笑いあえる瞬間が何より愛おしいです。
明日もきっと笑いあえるように、そう願ってやみません。
夜眠るときは「また明日ね」、一旦別行動する時には「またあとでね」。
おまじないのように唱える言葉たちが力を持って現実にしてくれますように。
明日も変わらぬ日常が訪れますように。
今日もおやすみなさい。
また、明日。